連載1『母娘慟哭の烈縄』
倉橋文人
SM秘小説2006年6月号掲載

 銀座の画廊から若い和服の人妻が消えた。
 が、新聞にも載らなかった。人妻の家出・失跡は犯罪との関連性がなければ、さしたるニュースバリューもないほど、頻発している。
 警察にも届け、身内の者が心当りを探したが、行方知れずだ。
 北見志穂。二十八才。結婚して三年、子供はなかったが、夫婦仲は良かった。
 その日、銀座のK画廊で待ち合わせをした約束の時刻に、妻の姿がない。交通事情で遅れているのかと、夫の達也は閉店時間まで待ってみたが、とうとう現われなかった。
 それから一週間。いまだに何の連絡もなく、依然として行方が知れない。
 画商・堤重二郎の宏大な邸宅は、世田谷の馬事公苑の近くにある。緑の多いこのあたりは、一軒の敷地が広く近所付き合いもない。隣家にどんな人が住んでいるのか、関心もない。
 地上二階、地下一階の屋敷には、使用人が男女二人ずつ、それと主人の堤重二郎の五人が住んでいる。
 使用人達は、地下室の存在を知らない。ガレージがあるだけと教えられ、地下への出入りは禁じられた。
 その地下室の一つに、北見志穂は一週間前から監禁されていた。
 窓は一つもなく、陽の光は全く射し込まない。暗い天井灯だけで、昼と夜の区別もなかった。
 後ろ手に拘束され猿轡をかまされて、水だけで一週間放り出されている。食べ物は何も与えられなかった。
 何も要求されないし、何も訊かれない。何のために連れて来られたのかもわからない。
 ただ長繻絆一枚に6かれて、いましめられている。腰巻も脱がされた。
 やくざ風の若い男が二人、交替で見廻りにきては、水と生理的欲求の世話をする。
 おまるにさせられるのだが、後ろ向きに跨がらせられるので、すっかり見られてしまう。
 しかも後始末をするときは、志穂の陰部を指で拡げて覗き込む。羞ずかしくて死にたいほどだ。
 なぜ、こんな所に閉じ込められているのか、訊きたくても猿轡をされているので、それもできなかった。
 一週間経った。志穂には何日経ったのかわからなかったが、堤が現われた。
 生気を失くした青白い顔で、グッタリとベッドに横たわっている志穂の猿轡を外した。
「どうです、生きたいですか?」
「……どうして、こんなことを……?」
「志穂さんが美しいからです」
「……わたくしの名前をなぜ……」
「身元も調べてあります……結婚して三年、夫婦仲はいいが子供ができない。ご主人に内緒で病院へ行って調べてもらったが、奥さんに欠陥はない。そうでしたね」
「……」
 自分が知らないうちに、そんなことまで調べられていた不気味さに、志穂は言葉がなかった。
「でも、そんなことはどうでもいいんです。わたしは絵を売買していますが、美しい女性にも目が無くてねえ。特に美しい人妻には……処女は、小便くさくてだめです……」
 パイプに火をつけるライターの焔が、堤の顔を照らし出した。
 恰幅も血色もよく、見るからに金満家というタイプだ。紫煙の向こう側から、目を細めて志穂を見つめている。
「家へ帰してください」
 声にも力が入らない。絶え入りそうな声だ。
「それはできません。大金を払って奥さんを買ったんですから……奥さんみたいに若くて美しい人妻となると、有名画伯の絵に匹敵する値段ですよ」
 堤重二郎の言葉に嘘はない。
 実際彼は、ブローカーの今井と真木に大金を支払っている。アングラの世界には、奸商と呼ばれる人買いブローカーがいる。
 堤の場合、商売柄、画廊で美人妻に目をつけ、人買いブローカーに身元調査を依頼し、結果に満足するとさらに拉致を依頼する。
 某国の有名政治家でさえ、人知れず拉致される昨今では、女一人を拉致するくらいプロには朝めし前だ。
 彼等は海外のルートも持っていて、内外を問わず女の売買をしている。
 現に志穂が誘拐されて来る三日前までこの地下室にいた女は、ブローカーに買われ東南アジアの某国に売られて行った。
 ひとたび彼等の手に落ちたら、二度と再び家族の許へは戻れない。
「もうご主人のことは忘れて、わたしの女にならんかね。それ以外には日本に住めないんだよ。ジャングルのあるような所へなら、かなりいい値段で売れるからそれでもいいんだがね……」
「……お願いです、お金はなんとか都合しますから、帰してください」
 組織のことを知らない志穂は、金で解決がつくものと思って堤に哀願したが、にべもなく断わられ、堤の女になるか、遠い外国へ売られた方がいいかの、二者択一を迫られた。
「いやです……お金なら、おっしゃるだけ……」
「サラリーマンが調達できる額じゃないんだよ。それに、たとえ調達できても絶対に返すわけにはいかん」
 組織の存在が発覚するような危険は冒せないと言って、堤は拒絶した。
「その代わり、今日から食べ物を与えてやる。重湯から少しずつ馴らして、衰弱している身体が健康体に戻った時が、志穂のここでの誕生ということになる」
 堤はそう言って部屋を出て行った。

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